みなさん一回くらいは見たり聞いたりした事ありますよね。”カットが得意”ショートカットならココ“あれ、どういう事をいってる思います?今日はその辺の事を探求。

こんにちは。子供の頃の好物はうまかっちゃん。片岡です。
まずこれを見てください。

↑この髪型と。

↑この髪型。
どっちが上手いと思います?
え?難しい?なるほど。ならこれは?

↑この髪型と。

↑この髪型。
どっちが上手いと思います?
いや同じじゃねぇか。
って声が聞こえそうですが。
これ実は明確な答えがあるんです。
正解は〜

ジェラードン西本ーー。
な ぜ な の か ?
ジェラードン西本のカットは超高難度。
全体の1%しかつくれない。
いまや、信号機の数より多いとされる理美容室。これは片岡の独断と偏見ですが、恐らくジェラードン西本の髪型を完璧に再現できる理美容師さんってその中でも1%くらいではないかなと。(もちろん僕もできません)
とにかくあの形に、櫛とハサミだけで切り揃えるのが激ムズ。
難しいカットできる美容師がカットがうまい?
ジェラードン西本の髪型は作るのが難しい。難しい事ができる人は上手い。よって、ジェラードン西本の髪型を作れる人は上手い美容師。
完璧だ。完璧な三段論法だ。スポーツ選手がいい例だ。高難度な偉業をなしとげる、そんな選手を”上手い”と言うだろう。
世界で活躍するプロ野球選手になるのは難しい。世界で活躍する人は上手い。よって、大谷翔平は”上手い”。
大谷翔平をヘタクソと言う人はいないだろう。
つまりジェラードン西本の髪型を作れる理美容師は、理美容師会の大谷翔平って事だ。
いやしかし、この論理は決定的な欠落があるような気がする。しかも議論するまでもないような欠落が、、、
ジェラードン西本の髪型したいやついる!?いねぇよな!?
圧倒的な需要欠落の罠
そう。いくら難しいカットだろうがなんだろうがこの髪型にはしたくない。つまり需要がない。大谷翔平だって、野球をだれもを観ないならスター選手にはなれない。
いや。正確にはいますよ。うん。これまた独断だけど全体の1%くらい。
しかし、多くの人にとって罰ゲームじゃないだろうか。あの髪型は。
球を投げる。それを打つ。それをとる。また投げる。それを打つ。これが罰ゲームになってないのは、そこに大衆と大金、その上に憧れや、欲求など入り混じってそれを阻止してる訳で、それなしだったら罰ゲームでしょ。
それでなんでこんな話しをしてるのかそろそろ決着つけなきゃいけない。
このままだとジェラードン西本とその髪型に関わる全ての人を小馬鹿にして終わってしまいそうだ。
結局カットが上手いってなに??
人は複合的、総合的に感知する?
あいさつ。声。声のトーン。振る舞い。臭い。音楽。座り心地。呼吸。鏡のサイズ。鏡との距離感。温度。櫛を通す強さ。ニの呼吸。スピード。案内の動線。三の呼吸。シャンプーの力加減。お湯の温度。会話。空気感。雰囲気。
を、”なんとなく”感知して、理想通りの髪型に上がれば「カットが上手い」と言ってもらえるのかなぁと。
(じゃあ結局技術じゃん。てなりそうだけど、お客さんって完全にコレにしたい。っていう理想がはっきりと決まってることって少ないと思うんですよねぇ。だから、もっと複合的にゴールに辿り着くというか、、こちらが案内するというか、、この話はまた今度)
15年前くらいに聞いて、その当時はあんまりピンとこなかったんだけど、東京の超有名な美容師大先生が言ってた言葉で、
「技術なんて10年まじめにやってたらだいたい一緒ぴょん」
これがなー、当時は「んなわけ」と思ったけど、今はあぁーそうかもなぁーと。思うわけです。
まぁ、もちろん思わない美容師さんも沢山いらっしゃると思いますし、それはそれで素晴らしい思います。
でもいま思えばこれって技術だけ見てても、しょーもないよ。って意味だったのかなぁーと。技術は手段で目的ではないよ。て。勝手な解釈だけど。
技術追求って、”難しい事””特別な事”に走りがちというか、、はてはジェラードン西本に走りがちというか、、(極論ですね)
お客さん的には、明日からの手入れが楽な事だったり、自分にあってる事だったり、そっちの方が大事な訳じゃないですか。オシャレだとかね。きっと。それ以外にもサロンでの居心地の良さとかね。
また極論なんですけど、離れていきやすように思っちゃうわけですね。お客さんの気持ちと、僕ら美容師が、”技術追求”って言葉に躍らせると。
なんかカッコいいしね、技術追求してます。ヘアデザイナーとして。とかね。なんかかっこいい。
片岡的な答え
傾聴し、統治せよ。聖徳太子に習うヘアカット
聖徳太子って確か、いっぺんに複数の人から話し聞けたんですよね。(ですよね?笑)
僕が言いたいのは、一気に色んな人の話を聞こうって事じゃなくて、あくまで聴くの部分です。傾聴。一人一人への様々な傾聴。つまり、
お客さんを傾聴できる美容師はカットが上手い。
美容師人生17年目、38歳、現在の僕の答えです。
いや実際難しいですよ。真剣に聴くって。難しい。ある程度、年数重ねると良くも悪くも”慣れ”ちゃいますからね。傾聴してるってよりも。営業してる。ってなりがち。
今の僕の傾聴力ってカットデビューしたてが2点だとしたら、今32点くらい。(自己判定)
全然。だからあてにはならないけど、傾聴を”やる”って、つまり、丁寧なカウンセリングとか悩みを聞き出すってもそうだけど、なんというか、
心意気だと思うんです。心意気。
どういことか説明してみます。
カウンセリングテクニックみたいな、型番はあるんですよ。技術としての。実際セミナーもありますし。
オウム返しとか、相槌をうつとか、ミラーリングとか。んで、結果もまぁまぁでるんですよ。確かに。
でもそうじゃない。理屈じゃない。傾聴や心意気ってのはそう言う事じゃない。
心意気ってのはお客さんとのタイマンですよ。言わば。(だっさー)
つまり前田太尊はカットが上手い。(なにこのヤンキーみたいなオチ)

傾聴する大事さは分かったので、次の話です。(わかった?)
聖徳太子は、当時中国からの輸入品”仏教”を政治にうまく取り入れて国を統治した人でもあります。(よね?確か⁇)
美容師が統治するのは国ではなく、目の前のお客さんと、鏡に映るサロン、自分の半径1.5mの空気感、と、自分の手。いわば僕の、片岡のサロンワーク。
太子が流行りの仏教を上手いこと取り入れて国を統治したように、僕らも取り入れなきゃいけない。(聖徳太子呼び捨てする奴)
取り入れるってのは、捨てるって事と同義語だから、必ず捨てるものもでてくる。しかし、太子が古代日本の八百万の神や、神道、と仏教を上手いことミックスしたように、僕らも上手くミックスしていかなきゃいけない。
流行を追うだけでもダメだし、時代おくれ過ぎてもダメ。太子が、よく見て、よく聴いて「え?!ちょっなに??仏教てめっちゃ今の日本いいやん!治めるのに使えそうやん!ウェーイ」という抜群のセンスを発揮したように、僕らも、世界、社会、個人、サロン、から、今、目の前お客さんまで、よく見て、よく聴いて、センスを駆使して”その場”を治める事ができると、「上手ね」って言ってもらえるんじゃなかろうか。(聖徳太子を比喩に引っ張りだしたの無理ある説)
そして、聖徳太子の名をほぼ義務教育を、放棄していた僕が知っているってところが、この話しの正当性と、普遍性を語っている。、、、、、、つまり、聖徳太子は上手だったのだ。、、、、、、はずだ!
まとめ
というわけで軽いノリで書き始めたら、3000文字もいってしまった笑。ろくでなしブルースを登場させたあたりから、「あぁこれは収集つかないな、、」と思いはじめたが、その通りになった!ウケる。
たぶんここまで読んだほとんど人が、「で?結局上手い美容師ってなに?」と思ったと思うが、よく聴いて、場を治める人(読める人)が上手い美容師だとう思う。聖徳太子を比喩に使おうとした事で余計ややこしくなった!
そりゃ髪形を作るのは基本だけど、”美容室”っていう箱で考えた時にそれだけじゃないかもなー、とも思うわけです。
なぜそう思うかを書かなきゃいけない。はい。今気がつきました笑。改めて。
さよなら さよなら さよならー
ここまで読んで面白かった物好きな人は是非シェアしてねー!では。